愛すのに140字が窮屈になった

連中に愛を捧げて生きる。プリズムの光で私は生き延びる。

さよならいつかとは未だ言えなくてー「大切なお知らせ」に直面した女の話ー

「なんでこんなに良いのに解散するんだろうね」

 


家族の言葉は、素でいられる間柄な分、不必要な遠慮とか気遣いとか落っこちていたりする。
だから、他の人に言われる言葉に比べて随分と鋭利で容赦なく聞こえたりもする。

 

事の顛末は、私が8月7日の夕食後に腰が抜けて数分動けなくなる事態から始まった。
「大切なお知らせ」という言葉が、Twitterの白い画面から浮かび上がってくるように見えた。
この類の悲報に絶望を覚える程アーティストを好きになったのは初めてだけれども、その「お知らせ」が何を知らせるために届いたのかくらいは、読まずとも察した。

 

思っていたよりも、あっけらかんとした「お知らせ」だった。
脱退したいと申し出たドラムの山田康二郎さんは、いつも通りかそれ以上に皆のことを気遣いながら言葉を選び、それでいて下手な嘘はついたりしない真面目な人だった。
また、その脱退の意志を聞いて「4人じゃないなら解散しようよ」と即座に判断したことを私たちファンに伝えるフロントマン理姫さんの言葉も、これまたいつも通り率直で、動かないスマホ画面の文字の筈なのに直接声を発して話しかけられているような錯覚に陥った。

 

それでも、じわじわと私の中に実感がこみ上げてきた。
「解散」「脱退」、この言葉だけでも絶命しそうな重さの言葉なのに、発表されたラストライブはたった2か月と少し先の10月26日。
そんな時間が短いことは、私にはよくわかっている。

 

今年の2月19日、私はちょっとありのままの心情過ぎて恥ずかしいブログ記事を書いた。

 

 

 

 

ハリのない人生に艶やかな彩りをくれたこと、やってられなくて突っ伏しそうな夜に寄り添ってくれたこと、心臓に真っすぐ届くような胸が昂る演奏を創り出してくれたこと、何もかもが私にとって代えがたい幸福だった。
このバンドしかついていきたくないな、言葉にすると何だか青臭いけど、本当にそう思っていた。

 

だから、その気持ちをそのまま言葉にしてインターネットの海に放流してみた。ちょっとやけくそだった。
気づけば、趣味用に新たに作ったアカウントでのつぶやきは100いいねを超えていた。
よくいう「バズった」には到底達していない数だけど、誰にも何も言えないまま、アカシックのことを世間が知らずに時が流れていくことにひとり悶々としていた私にとっては信じられない反応だった。

 

その日から、私はずっとアカシックのことをブログに書き続けた。


アルバムごとに収録曲の話をして、他アーティストに提供した曲も書いて、縦断的な楽曲紹介は書いたからいよいよテーマごとの横断的な記事に移行しようと企てていた。
SNSやライブのMCでアカシックのメンバー本人たちから「20曲くらい未収録曲がある」「秋にアルバムを出したい」という話もあったので、きっとまた恐ろしく良い楽曲がこれでもかという程に押し込まれて、私の語彙力の貧しさに苦しむ日々がやってくるのだなと嬉しい苦悩もしていた。
個人の趣味ブログのくせに苦悩しているのがあほらしいにも程がある。


奇しくも、その日もブログを書いていた。私がブログを始めて半年が経っていたことに、更新日を見て気づいた。

 

その更新のたった2時間後、「大切なお知らせ」は襲来した。

 

私が語彙力の欠如や拡散力の未熟さに悲観し、それでもなんとか文字を起こし続けた半年は、本当にあっという間だった。
そうやって時の過ぎ去る速度をいつも以上に意識していた私だからこそ、2か月後の解散がどれほど早くやってきてしまうのか、悔しいことに容易く予想がつく。

 

嬉々としてブログなんて更新しちゃって、馬鹿みたい。

 

数時間前の自分をあざ笑うくらいしかできないみっともない私は、必死でTwitterの情報の波を観測した。

 

冷静に「お疲れ様でした」と締めくくる人、「まだライブに行ったことないのに」「あの曲が好きなのに」と好きの入り口付近で戸惑う人、「あのバンドも解散したのに続くな」と一つの出来事としてとらえている人、そして私のように困惑を隠せない人、いろんな人たちがそれぞれの思いを打ち込んでいた。
その様子を要約することは難しいけれど、普段とは違うタイムラインの速度やツイートの多さに非常事態の気配は出ていた。
それだけで、実感を生み出すには充分だった。


リアルタイムで刻まれる人々の反応を食い入るように見続けた。現実味はどんどん増した。

気づけば、床に腰を下ろしてからしばらく経っていたらしい。


私の趣味に対して日頃関心のない家族すら、夕食の食器が残ったままのテーブルよりも低い位置でスマホを手放せず落胆の表情を浮かべる私に、何らかの異変が起きていることは察知したらしい。
びっくりするくらい乾ききった口を無理やりこじ開けるように開いて、私は「アカシックが解散する」と家族に告げた。
その後の記憶は曖昧で、とりあえず家族に泣きごとを散々言っていたような気がする。

 

その数日後、家族と私がとりとめのない雑談の流れで音楽の話をしているときに、家族がアカシックの話をそれとなく聞いてきた。
解散するから優しくしてやろうとかそういう打算的な雰囲気ではなく、単純に興味がわいたような雰囲気だった。

 

私は、(こういうあまりに赤裸々なブログをしていることを見破られたくないのもあって)ゆっくりと、断片的に、アカシックの何が好きか話した。音楽的な知識が私なんかより更にない家族なので、話すことができる部分はごくわずかであったけれど。
ここで、冒頭の発言にやっとたどり着く。

 

家族の反応は意外だった。
そんなに好きなんだねとか、残念だねとか、私の気持ちの深さの方に寄り添うのだろうと思っていたからだ。
アカシックの良さが、愛すべきところが、素人の拙い説明でも他の誰かに伝わった。


「嬉しい」と「悔しい」が同時に全力で押し寄せてくるような気持ちになって、その夜はゆっくり眠れなかった。

 


鍵のついたフォロワーのいないアカウントからメンバーのSNSを見て、時々ライブや新譜の感想をどうしても伝えたくなったときに、鍵を外してリプをする。
そんな日々に、とりあえず納得していた。

 

だけど、アカシックが好きなんですとはなんとなく公言できなかった。
周りにアカシックのことを知っている人はほとんどいなかったし、ひとり後方から見る観客の後ろ姿にも「あの子見たことあるな」と思うことが多かった。
もっと「不特定多数のファンの誰か」になりたかった私は、静かにライブを見て、静かに帰る癖を覚えた。


行けるライブに最大限行くこと、CDを買うこと、それとこっそりLINEのプロフィールにアカシックの曲を設定することくらいの、密やかな応援の仕方だった。
声を出せない応援は、しんどくてしんどくて仕方なかった。

 


簡単に売れる方法なんてあれば解散を回避できたバンドは山ほどあったはずだし、いつも評価と功績の釣り合いがとれている訳じゃないことは私たちも日常生活の中で感じている。
それでも、この音楽に対してこの知名度が妥当な結果だとは絶対に思えない。


こんなに緻密に紡がれた女の子の気持ち丸ごと取り出したような歌詞も、心臓を素手でつかみに来るような曲も、他のアーティストと比べることもできないくらいに好きなのに、どうして、この人達は限られた世界で閉じこもっているんだろう。

 

悔しかった。世界に叫んでやりたかった。見過ごすなよって。見つけてよって。
「これが一途か 気が狂いそうだ」
憂い切る身という曲の一節を、繰り返し思い浮かべた。

 

本当は今だって悔しい。

 

なんで、解散ライブになってから急にチケットが転売されてんのさ。
初めて買ったライブのチケットの整理番号は先行でもなんでもなく一般で買って二桁番だった。
解散ライブは、最速先行のチケットをなんとか手に入れてそれでも1000人の後ろから数えた方が早い番号だ。
私はアカシックを観に行くんであって、お金を出して人の後頭部を観に行くんじゃないってもっと明るい気持ちで笑いたかった。

 


人に話したら笑われるんだろうな。

 

時々鍵を外すTwitterの140字におさめることなんてできないくらいに愛が膨張してしまったこと。
この気持ちを手紙にしたらどえらい重い女になりそうなくらい好きすぎること。
本気でアカシックのことを世の中に知ってほしいなんて思って勢いでブログを作ったこと。
薄っぺらい脳内辞書と感受性しか持たない私のこれまでの人生の不勉強っぷりを死ぬほど恨んでいること。
こんな下手くそな文章しか書けない私がブログなんか始めてしまったという後ろめたさがいつまでも消えないこと。

 

5年前のデビューのときにどうしてこの人達と私は巡り合わなかったんだろうと、ずっと成長を追いかけている古株の人達への羨望を勝手に抱えて自己嫌悪に陥っていること。
きっと私みたいに、他のアーティストをしばらく聞けなくなるくらいハマってくれる人が世の中にまだまだ埋もれていると信じていること。

 

ほとんどが恋愛の曲なのに、何の関係もない仕事の辛さを紛らわせたくてアカシックを延々シャッフル再生したこと。
結局そのときの仕事は辞めてしまったけど、あの頃の恩返しのような気持ちで本音をキーボードにたたきつけていること。
こんな人生を選びたかった、こんな女性として生きていたいと狂ったように願っていること。


理姫さんにちょっと似てる」なんて話を人から聞いたことをきっかけにこっそり検索したそのアイドルにまでハマったことと、もしかしたら私と逆のルートでアカシックを見つける人がいるかもしれないと思ってブログに他のアーティストやアイドルの話も書いていること。
(そっち界隈の方から私を知っている方、ごめんなさい。邪なのは最初だけだよ。)


実はバンド名を見たり、ラストライブのための宿泊予約をしたりするだけですぐに涙が出てくること。

 

 

 

世界を変えたかったこと。

 

 

馬鹿でしょ?

自分でも笑っちゃうもん。
でも、私の世界を変えたのはアカシックだもん。
この愛情も、リツイートのようにどんどん拡散していかないかなって願っただけだもん。
だから140字の世界から、もっともっと広げようと思った。


そんなこと、あのとき家族にも言えなかったな。

 

 


それでも、笑わないでいてほしいの。

 

アカシックは解散してしまっても、好きでいて良かったとファンが確かな誇りを持てる程に良いバンドだということ。
新しい未来に向かう山田康二郎さんの決意も、形を変えて進もうとする他の3人の覚悟も、どっちも尊重していること。
きっと3人はこれまで以上に素敵な音楽を作るのだろうと勝手に未来に太鼓判を押していること。
それくらい、理姫さんの言葉に、声に、奥脇達也さんの作る曲に、ギターに、二人を支えるバンビさんのベースと山田康二郎さんのドラムに、とてつもない力があること。

 

だけど、まだちょっとアカシックの音楽を誰かに聞いてもらうために現状にしがみついていたいこと。
アカシックの解散は、私の人生のパズルのピースを1つ失うくらい取り返しがつかないことかもしれないだと怯えていること。
それでも、好きで好きで仕方ないというこの心情を、できるだけ隠さずに書き留めたいこと。
ライブ会場やSNSが愛で溢れることによって、メンバー皆がアカシックとしての活動に何の後悔もなく終止符を打てるようにしたいと願っていること。
ラストライブに「愛しき実話」なんて名前をつける彼らが、あまりにいつも通り過ぎてまだ好きの感情が増えていっていること。

サヨナラは当分先でいいと願っていること。

 

できるだけ多くの人に、最後だけでも熱い感情をほとばしらせるアカシックのライブを見てほしいこと。
こんなタイミングだけど、まだ今からでもたくさんの人に見つかってほしいなと考えていること。

 

 

解散、活動休止、悲しい知らせを届けるバンドがひっきりなしに現れる。
音楽の道とは獣道なのだと、その悲しさを片付けることは簡単なのかもしれない。
けれど、たくさんの悲しむ人たちがいることも、彼らの音楽活動による功績に入れてほしい。
少なくとも私たちは、バンドの規模や知名度にかかわらず、彼らの音楽に救われているのだから。

 

もし、こんな書き殴りの文章を読んでくれている人がいるなら、あなたが推している人達、応援している人たちに、惜しみなく愛を届けてください。
最大限ライブに行くとか、それが難しくてもどうにかこうにか愛を伝えるとか、とにかく聞きまくるとか、方法はいくつかあると思う。後悔しないでね。どんなことにも最後は来るから。


10月26日まで日にちが迫ってきて、最後の日に吹く横浜の風はきっとしょっぱいんだろうなと感慨深くなったので書きました。
少しずつ、前を向くために足掻きます。

 

 

 

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