愛すのに140字が窮屈になった

連中に愛を捧げて生きる。プリズムの光で私は生き延びる。

YOKOHAMA

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横浜駅の看板、中華街の異国情緒、山下公園の花盛りの薔薇園、赤レンガ倉庫が臨める海。
その横浜の景色につきまとうぼんやりした曇り空は、私の煮え切らない気持ちみたいだ。

 

 

女の情念も、掻き消せない愛も、整然としない醜悪な感情もそれでも生きていきたいと前を向く感情も、全部を理姫さんはこの横浜の土地から書き連ねた。


聴いていないのに、歩く度に横浜の景色が、「ツイニーヨコハマ、」「you&i」、「香港ママ」などのアカシックの曲にリンクする。

 

実感を抱いたり、時々その実感を失ったり、自分の心が二転三転する。
誰も知り合いのいない街で、一人静かに動揺していた。
できる限り何の関係もないツイートを見たりして、今の気持ちを自覚しないように現実を回避していた。

 

 


はずだったのに。

 

 

ベイホールに足を踏み入れてステージを見たら、悟らずにはいられなくなった。

 

 

「ITOSHIKI JITSUWA」

 

 

赤やピンクの花で作られた絢爛なフラワーアートが、アカシックの解散を突きつける。

 

 

ああ、完成しちゃった。
今日はお仕舞いの日なんだ。

 

自覚した途端、呼吸が乱れてしまうような不安に陥った。開演しなければいいと思うくらいに。
この待ち時間をとても長く感じていたのに、改めて思い出そうとするとほとんど記憶がない。

 


終焉を告げるSEが始まる。

 

巧妙な仕掛けのように、今までの曲が織り込まれるSE。


「終電」が始まるかとフェイントをかけて、「ギャングスタ」を差し込んでくる。

 


3人のときも、5人のときも、そして4人のときも、アカシックの曲はいつだって私たちの心臓に直接届くような距離にいてくれた。
そんなことをふと感じながら、大好きな「エンジェルシンク」がSEの奥の方で木霊するのを感じる。
次々と襲来する曲に泣かされて、ちょっと待ってこれまだSEだよねと疑いたくなる。

 

 

ざらっとした達也さんのギターカッティングでライブが始まってしまう。
天井を支える役割よりもステージの光景を阻害する役割の方を発揮しすぎた2本の柱のせいで、万全の視界ではなかったけれど、4人の佇まいが凛としていることはハッキリと認識した。

 


「地獄に手を振って」が会場を飲み込むあの瞬間、毎回理姫さんの声の中に込められた気持ちを窺い知りたくなる。


絶対わかりっこないんだけど。

 

 

大阪は、魅せるという言葉が似合った。
曲の美しさも温度も、一音一音丁寧に伝わってきた。

 

東京は、少し上ずるような、まさに理姫さんが事前のSNSで「千切れたい」と言った通り、勢いが勝る声だった。

 

横浜は、その東京よりも更に感情が前に前に出ているような気がした。


よく、感情を音に乗せて、なんて言うけれど、今日の理姫さんはもしかしたら逆なんじゃないか。
感情が先に圧を持って表に出てきて、そこに声とか音程が食らいつくような、そんな逆転現象。

 

バランスを崩しそうで崩さない極限の雰囲気の中で、理姫さんは声を絞り出す。
全身全霊の感情を宿す曲に憑依するように、メンバーが各々の楽器を力強く弾く。
康二郎を見る度に、鮮やかな色の花々が彼を取り囲む。

 

自分たちで整えた神聖な空間を自分たちでかき乱すように、「エリザベスロマン」「Mr.FANCY」がライブハウスを乗っ取る。


圧で歌っている気がした理姫さんだったけど、やっぱりメンバー全員が今日は前のめりな気がする。
達也さんも、バンビさんも、そしてもちろん康二郎も理姫さんも、振り絞ってる。
届くはずのない客席にまでステージの4人の温度がじわりと迫る。


神妙な面持ちだったり、羽目を外したような笑顔だったり、きっと今日は全てに意味があるように見えてしまう。

 

 


「エリザベス」の途中で理姫さんが、康二郎を煽る。

 


「最後なのにそんなので良いの?」

 

あ、言った。


理姫さん、東京では最後って言いたくなさそうだったのに。
こういう些細なところで、大阪とも東京とも更に違う、本当の本当のお仕舞いの日なんだということを感じる。
元気いっぱいの康二郎の早口なご挨拶すら、面白くって仕方ないのに悲しくって仕方ない。

 

その悲しさを胸に詰め込んだまま聴く「Mr.FANCY」の歌詞は鋭利すぎる。

 

 

人生、人生、素敵だ

君がどっかに生きている

 

康二郎への手紙みたいな歌詞になるとはな。

 

 

「オレンジに塩コショウ」「ツイニーヨコハマ」と、アカシックの良さがこれでもかと詰め込まれた流れが続く。


炎天下も、パーカー着た7月も、理姫さんは同じ海の景色から全く違う世界を切り取ることができる人。
そしてアカシックのメンバーは、その歌詞の世界をするっと綺麗に再現できる人たち。

 

「わかりやすい」ことをすることが、売れることには近道なのかもしれない。
けれど、アカシックは遠回りばっかりする。


しんみりしたり、はっちゃけたり、かわいくなったり、かったるくなったり。
私たちの心を振り回すように、手あたり次第試してくる。


けど、一筋縄ではいかないアカシックの曲のラインナップは、くだらないことでも一喜一憂する私たちの下手くそな生き方みたいだ。
掴みどころのないふり幅こそ、アカシックらしさでありながら、私たちそのものでもある。

 

ヒヤリと頬を横切る「ツイニーヨコハマ」の演奏を聴きながら、そんなことを少しだけ思った。


理姫さんは相変わらずお茶目な表情を滲ませる。
「一緒に歌って踊るのも今日が最後」と知っているから、無意識に人差し指が震える。

 

 

MCの時間は毎回とっても楽しいんだけど、平常心を無理やり取り戻そうとしているしょんぼりした自分にも気づいてしまうから、なんだか切なかった。


台風のフー子が横浜を助けてくれたね、って話。私は全45巻読んだ人だからフー子の話知ってるし大好きだし頷きまくっていたけど、あれはどこまでティーンに伝わっていたんだろうか。
しんみりしたくないし、させたくない。あれも、アカシックのメンバーの優しさなんだろうな。

 

 

「憂い切る身」は、そんな解散ムードと噛み合わないMCをぶった切る。
「愛しき実話」と同じくらい、この曲は今のアカシックのためにある曲だと再確認した。

 

 

私は、たった一つの後悔もなく生きているか。
私は、たった一つの後悔もなくアカシックを好きでいるのか。

 

 

実は、ライブ前日にいてもたってもいられなくなって、自問自答のような文章を書いた。

 

アカシックを好きになって、私の人生が救われたこと。
そのことへの感謝を全て丸裸にしてから、解散ライブに臨みたいと覚悟した。だから、拙いけれど書いた。

 

この曲の真摯さを全て体現したような鍵盤の音が響き渡る。
足場がぐらつくほどの今日一番の圧に飲み込まれながら、その文章を思い出した。

やっぱりアカシックを好きになったことに悔いなんか見当たらないなと、泣きながら笑ってしまった。

 


康二郎のドラムの力強さに心臓が揺らいだ。
あと、バンビさんが直前のInstagramで一番好きな曲に「憂い切る身」を挙げていたので、ついバンビさんをたくさん覗き込んだ。
重たい前髪の中に潜む目のギラツキに、つい釘付けになった。

 


こうやって精神状態が危うくなってきたタイミングで、ツアー初登場の「邪魔」。

ズルい人たちだ最後まで。今日の感情先行型の4人にハマり過ぎる選曲。


達也さんはよくあんなにも感情をおおっぴろげにしながら演奏できるもんだなと毎回感嘆する。

 

 

「you&i」はいかんせんMVの景色がフラッシュバックする。

あのMVと季節も近いせいだろうか。


浮遊感と気怠さと華奢な可憐さを一気に出せる理姫さんの声と抑揚が好きだし、曲の素直さに反比例する達也さんのギターの歪みが好きだし、小気味いいテンポを刻むバンビさんのベースと康二郎のドラムの掛け合いも好き。


うっとりしたいのに、お仕舞いの気配がそう易々と私を解放してくれない。


だってこんなに完成度の高い曲の応酬が続いているのに今日が最後だなんて。納得できない、してやんない。

 

 

怒濤の名曲ラッシュを乗り越えて、何を話し出すのかと思いきや。


理姫さんの口火を切ったのは、相当に憤慨の気持ちを含んだ一言。

 

 

「バチェラー…!!!」

 


山梨のぶどう農家の話に振り回される山梨の狂犬、奥脇達也。
視聴している人もしていない人も強引に巻き込むあまりの熱弁具合に、フー子とは違って全力で笑ってしまった。

ちなみに帰ってからも #友永構文 とかも読んでる。ぶどう農家という言葉に嫌悪を抱く日が来るなんて思っていなかった。

 

 

そんな普段通りのように見える理姫さんが、「横浜で全てを歌ってきた」と宣言する。

 


その話からの「幸せじゃないから死ねない」。

 

恋愛ドキュメンタリーにあれこれ不満を抱えて指原さんのツイートにいいねする理姫さんと、神経を研ぎ澄ませてバラードを歌い始める理姫さんの間に、びっくりするほど境目がない。


他の人だったら、「そのMCでこの曲はおかしいだろ、やり直し」となるはずが、「ボーカル 理姫」という主人公がステージに立てばこの波乱万丈な進行も何一つおかしくなくなってしまう。

 


理姫さんがガールズバーから抜け出して歌っても、数年を経てニコニコと跳ねながら歌っても、アカシックの曲は理姫さんのもの。
どんな色でこの曲に色を塗るのか決めるのは理姫さん。
だから、理姫さんがお仕舞いと決めたならそれは本当にお仕舞い。
そんな風に通告されたような気分になった。
理姫さんは存在に説得力のある人なんだ。


コンサバのイントロで始まったのに間奏がカップリング版に聞こえたんだけど、あっているかしら。そうだとしたら、アカシックの歴史を一曲で示すアレンジとして最高。

 

お仕舞いに覚悟を決めろよ、そう言われたような気分を消化しきれていないのに、間髪を入れずに「エロティシズム」が始まる。

 


「あなたを好きになって 本当に良かった」
「地獄だろうとついてきて」

 


今、こういうこと言われるとね。あっけなく心臓握りつぶされるよ。


こういう重々しいバラードのアカシックが大好きで、全力で殴るように畳みかけてくる演奏とか(なのにうるさくなくて一番良いバランスを保ち続ける3人の演奏技術の精巧さにも驚く)、終わらない気満々のアウトロとか、理姫さんの途絶えてしまいそうな息遣いとか、全部が集合体になって襲い掛かってくるというか、4人じゃないとできない感情の表現というか、何にせよ泣くしかないなって。


この壮絶な曲を横浜に、お仕舞いの日に残してくれていたのって、私たちファンの心を見透かされているみたい。


誰を見て良いのかわかんないくらい4人全員が最終形態の本気。一人ひとりを見る目とその目からこぼれる涙を拭う手が欲しかった。
隠そうとしてた寂しさとか切なさがこの曲で一気に暴かれてしまった。

 

 

そうやって空っぽになった心に、あざとく入り込んでくる「香港ママ」。


理姫さんが話している背後で鳴るギターがチャイニーズでエキサイティングすぎて奥脇達也の才能えげつないなって思った。
恥ずかしがっている理姫さんを見れるのも今日が最後なのか、あーあ、なんて思いながらも、この辺りからいよいよ「笑えよ」「本気出せよ」みたいな楽曲が続くもんだから笑っちゃいました。ええもう全力で。


アカシックのライブって楽しくて、盛り上がってなんぼ、みたいなところあるのが好き。最後だとしても。

 

 

「マイラグジュアリーナイト」、「CGギャル」、「プリチー」、「華金」あたりは暴露するとあんまり記憶ないんだ。許してほしい。

 


フロントに立つ達也さんバンビさんがめちゃくちゃ熱くて喉千切れそうなほど叫んだり、横のおじさんに若干引かれるほど拳を掲げたことは覚えている。

未練残したくない!って気持ちのまま、最低限の理性を保ちながら暴れようと思った、はず。


「頭が空っぽな危うさで」、まさにこんな状態で正気ぶっ飛んでた。

 

全部楽しいんだけど、全曲色がちゃんと違うんだよね。


「マイラグジュアリーナイト」はあのMVの煌びやかな幕とトンネルの吸い込まれそうな藍色がとても似合うし、「CG」は真っ赤に燃えそうなステージライトが映える。「プリチー」の癖のある毒っ気ピンクや、「華金」の闇の中で見えなくなりそうなネオンの切なさも、音と一緒にぶわっと脳内で溢れてくる。


絵画のような、お話のような曲。それなのに、ライブを、バンドを、全力で奮い立たせる曲。
こういう美しさと熱さを同時に演奏で表現できるバンドって他にいるの?ねぇ?みたいな喧嘩上等モードで聴いてた。暴れた。


あと、他の方のレポートで思い出したけど理姫さんと康二郎が珍しく曲中に声を掛け合う場面があって。
あんまり見ないシーンな気がして、ちょっとそこだけ寂しかった。
康二郎の「暴れん坊将軍」も最後なんだよ。最後の将軍なんだよ。切ないのに楽しい。楽しいのに切ない。

 

 

「秘密のデート」はやっぱりもう康二郎の曲。
アカシックの、女の子のすべてが詰まっていて危うい魅力たっぷりの楽曲を、ここまでライブで化けさせてしまう彼の熱量と、最早聞き取らせる気のない滑舌が、本当に大好きだったんだよ。


ちなみにいちいち書いていないけど、「マイラグ」以降は笑っては泣いて、暴れては泣いて、を繰り返している。


コンサバティブの円盤で聴くのとはまるで違う曲。
バンドってこういう成長があるからちゃんとライブ行かなきゃいけないんだよ、きっと。

 

 

「アルカイックセンチメント」から、「8ミリフィルム」、「愛×Happy×クレイジー」、「LSD」の終盤はきっと涙を死因にするためのセットリスト。

私の葬式もこの順番で流してほしいから遺言残しておきたい。子孫いないけど。

 

 

「アルカイックセンチメント」って、どうしてあんなに愛おしい一体感で包んでくれるんだろうな。
映画のエンディングみたいな余韻を感じる。
こういう唯一無二のポップさを、わかりやすくしっとりしないけど実はぎゅっと切ないみたいな表現を、ずっと守り続けてくれるバンド。
それがアカシックの、他の音楽に負けない良さ。
あんまり勝ち負けとか競わせるような言葉使いたくなかったんだけど、ここばかりは使わせてほしい。

 

そうやって大好きだな、代わりになるバンドなんかいないな、って思ったときに聴く「8ミリフィルム」は恐ろしく素晴らしい。


「色褪せない」とはよく言ったもので、この曲はまさにそう。
理姫さんの声が本当によく合うこの曲のフェイクが、本当に心地いいの。
きっとこの曲の五線譜はとても賑やかそうなんだけど(音楽詳しくないから直感ね)、何一つ過不足がないんだよな。
ベースの密かなスラップしかり、ギターと鍵盤の目まぐるしい掛け合いしかり、歪んだドラムの入り方しかり。

 

 


やっぱり世界がアカシックを知らないまんまなんて嫌だ。
そう思ったら色んな感情と思い出がぐっちゃぐちゃに脳みそで渋滞していた。

 

 

「愛×Happy×クレイジー」は、他のライブでも書いたけど私の年輪。


素人が判断するのも変だから断言にはならないようにしたいけど、初めて聴いたときよりずっとずっと進化しているように感じた。
成長する曲、メンバーが育てた曲。そんなイメージがすっごいこの曲に詰まっているような印象を受けた。
愛と幸せと熱狂って、まさにアカシックだよね。名は体を表す。

 

 

4人の熱量も私たちの叫び声も限界に近づいたころに、「LSD」でけろりと言われる「バイバイ」が寂しかった。


「またすぐに」会えなくなるんだな、とか自分の気持ちと歌詞を重ねてしまったが最後。お別れの辛さで絞殺される胸。

 

 

その辛さを振り切るための、「好き嫌い」。


理姫さんが握りしめるリコーダー、やたらロックに成長しすぎたアレンジ、物分かりが良すぎるコール&レスポンス。
これもまたアカシックの歴史。


「平成時代のゆとり教育に育った」

絶滅危惧種の乙女」


この歌詞がやたらと沁みた。
そうだよ、理姫さんはいつだってそんな乙女を救ってくれたよ。


達也さんが、その歌詞の為に曲を書いて、バンビさんと康二郎が、その世界を支えてきたよ。


いつだって、今だって、4人でその曲を大事に大事に奏でてきたよ。


ああ、どうやったらこの時間を止められるのかな。

 

 

 

 

アンコールで4人が出てきて、「愛しき実話」が始まった途端、あまりの美しさに息が止まりそうだった。


改めて背後のお花が、曲名が、「無情な日々」の中で生きる気持ちを歌う歌詞が、とてもアカシックらしいし、4人の門出に相応しいなと感じた。

 


やっぱり、時間を止めることはできない。


けど、受けとめなきゃ。4人の最大瞬間風速を。お仕舞いの美しさ、儚さを。そんな風に思いながら瞬きを我慢して聴いた。

 

 


さっきまで拳を高く掲げていたのに、急に棒立ちになって無心でステージと向き合った。

 

 

 

MCは、康二郎と理姫さんで対照的だった。

 

言葉を選びながら、謝意を伝えてくれる康二郎。


どこまでも優しい男。だけど、もう遠くに行ってしまった人のような、見えない距離を感じてしまった。どんな人間関係でもそうだけど、別れを告げる方って大体いつも吹っ切れている。
私も、この景色を忘れないよ。そう願うことしかできなかった。

 

 

一方、理姫さんは未来を見ていた。(詳しくはナタリーさんを読んでくれ)

 

音楽は生活のためだと思っていた。

けれど、いつの間にか音楽が生活に寄り添っていた。だから、達也とバンビを道連れにする。

 

短くまとめるとこんな内容。

こんなにも包み隠さず、生活のことを話してくれるバンドマンがどれほどいるのだろう。


お金のことを話せば汚いと言われるし、綺麗ごとを話せば煙たがられる。世の中ってそういう理不尽さがある。
けれど、理姫さんは全部話してくれた。
自分が生活必需品さえ買えれば良いと思っていた過去も、音楽と向き合うようになったという変化も。
お客さんがいないと困るからライブ来てね、という正直な気持ちも。

 

私たちは、音楽に対して、矛先を失ったやりきれない気持ちを歌詞に重ね合わせて、曲の心地よさに心酔することしかできない。
アーティストのために、直接何かすることもできない。
好きだと表明するとか、ライブに行くとか、そんなことを日々続けていくしかない。
音楽に、アーティストに救われっぱなしなのである。

 

 

そんな風に私たちをずっと救い続けてくれる音楽が、アーティスト本人にとっても生活に寄り添うものになっている。
それってなんだか、嬉しいなと純粋に思った。


私たちファンとアーティストの人生は、音楽というたった一つの交点で、お互いに幸せになっている。
そうだったらとても嬉しいな、と願った。


そして、音楽という交点から離れていく康二郎にとっても、アカシックが忘れられない思い出になればそれだけで良いと思った。
まとめらんないけど!なんか、すっごく良いなと思えたの。

 

そんな風に、解散の悲しさを上回る喜びを嚙みしめながらの「終電」。
ガールズバーを抜け出してライブして適当に音楽していた」(意訳)時代の曲がこれ?はあ?ってなって良い意味で理解できない。


変な(褒めている)ダンスをする理姫さんは、リリース当時も今もずっと女の子全開で愛らしいし、演奏はずっと進化し続けている。
3人でなんとか創りあげた楽曲は、4人で磨き上げて万全の凛々しさを誇っている。

 


ああもう、やっぱりアカシック大好きで良かった。

 

わかっちゃいるんだけど、こんなに感極まったタイミングでの「サイノロジック」は本当に多幸感がみなぎってる。


80年代歌謡曲ばりの気品ある歌詞と、ライブならではの火照るような演奏が化学反応する。ポップスの女神はアカシックに宿っているよ絶対。


アカシックがほとんどのライブのセトリから「サイノロジック」を外さない(少なくとも私が参加したライブはほぼ毎回演奏していたはず)
理由は、ステージの4人を見れば一目瞭然。
音楽が、曲が、ライブが、4人が好きなんだなって骨の髄まで伝わる。


お別れのしみったれた空気なんて少しも吸わせてくれないバンド。
「最高潮」という言葉を音で表現し尽くす怪物みたいなバンド。
理姫さんという圧倒的主人公を擁しながら、4人で一つという空気を生み出すめちゃくちゃ技術の高いバンド。
(ああダメ、書いているときは泣かないようにしていたのに今ここで超泣いてる)

 

 

ダブルアンコール。


大阪でも東京でもなかった場面。
ライブ定番曲は演奏し尽くしたはずなので、何を選曲する?ということを考える。だんだん動悸が激しくなる。
うまくアンコールの声が出せない。

 

 

ステージが赤く染まる。「ロマンス」。


やっぱり、この人たちは軽々しく予想を裏切ってくれる。*1


夜と恋が重なり合う不協和音を切り取ったような歌詞の世界がとっても大好きな曲。
妖しげなのに、好きという気持ちを大胆に示すような曲。
観客全員の感情をかっさらうような曲を持ってこられて茫然自失。

 


やっぱりアカシックしか好きじゃない。

 

 

 

 

これまたナタリーさん読んでほしいけど、達也さんの挨拶。

 

 

アカシックは人生と青春のすべて」
アカシックは天に召されて成仏しました」

 

そして、理姫さんの挨拶。

 

 

 

「これにて解散!」

 


けじめの場面で、その人達の個性や本性ってよく出るものだとは思うけど、ここまでさっぱり清算されるとは思ってなかった。
最後はボロボロに号泣して顔中真っ黒にして帰るつもりだったのに、あまりに皆がすっきりしているものだから、笑ってしまった。


健やかで晴れやかな4人と、それをサポートしてくれた翔汰さんに最大の愛を込めて、強く、強く、掌が痛い程の拍手した。

 


かろうじて残った体力を振り絞ってホテルに戻ったけど、魂をライブハウスに置いてきたようで、何も考えられなかった。

 

ああ、私なんだか成仏していないわ。
こういうときって恋愛と同じなのね。未練がましくて重い女。

 

 

何分か経って、ベッドで横たわりながらそう感じた。私は亡霊。
新しい活動のことを予感させてくれる理姫さん直筆のフライヤーを眺めながら、成仏できそうになるまで横浜の感想は書かないでおこうと決めた。

ちゃんと成仏した人に、未練がましい私の文章を見てもらうのは心苦しいなと思ったので。

 

 

数日経った。
理姫さんのInstagramを拝見したり、他の方のライブレポを読んだりして、成仏しているかどうかその度にテストした。
平気なときもあれば、ダメだちょっと画面閉じようというときもあって、なかなかテストは成功しなかった。

 

でも、ふとしたときに私の頭の中にアカシックの音楽が鳴る。
季節柄、今は鶺鴒が一番よく脳裏に浮かぶ。
横浜を懐かしく感じられるのでツイニーもよく思い出す。
私の生活にも、なんだかんだアカシックが寄り添っていることに、だんだんと気づいてきた。改めて。

 

馬鹿みたいにキーボードをたたきつけてブログを書いた日も
アカシックの音楽で日常の嫌なこと不安なこと全部洗い流した日も
ライブでぼっちのくせに叫んで清々しい気分で帰った日も
乗りたくない列車に揺られて愛しき実話を観に行った日も

全部悔やむことのない生活で、いつ思い出したって幸せだな。
そんな風に、ちょっとだけ思えた。
なので、成仏した!ってことにします。ひとまず。

 

 

 

アカシック、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

で、ここまでを数日前に書いた。

 

書いた途端、理姫さん、達也さん、バンビさんから次々と情報が舞い込んできた。

 

 

 

 

「可愛い連中」

 

 

 

 

このプロジェクト名だけで、軽率に泣いていた。

 

ああ、やっぱり私の好きな人達の選ぶ言葉だなと確信した。

 

理姫さんが人生を賭けてくれるならば、凛として生きる彼女の生活(ペット可)に旦那様と音楽が必要不可欠ならば、私は道連れにされます。達也さんバンビさんと共に。

 

やまだぁぁは辞めたはずなのに相変わらず優しいし。なんだこの野郎。

 

 

 

ブログなんて、私のエゴでしかない。

好きだ好きだと言いたい私のはけ口でしかない。

 

 

それでも、理姫さん達也さんバンビさんの作る音楽が、誰かに届くなら、悪者でもエゴイストでも良い。

 

 

アカシックも、可愛い連中も、いつもいつも

私の生活に寄り添っていてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お仕舞い

 

 

 

lovelydayswithakasick.hateblo.jp

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*1:ちなみに予想は、「夢遊」「さめざめ」か、盛り上がる曲をもう1回だった