TOKYO
乗りたくもないかったるい速度の列車に揺られて、東京に向かった。
隣の親父が呑気にストロングゼロを嗜むのを斜めに見ながら、今日のライブのことを考える。
感情を整理しきれないまま、延々と続いていた田園風景が窮屈なビル街に変わり始めた。
私は頭がおかしいのかもしれない。だって、今日のライブがとても楽しみだったから。
大阪を振り返ると、あの日は悲しくて悲しくてたまらない反面、興奮が止まらなかった。
アカシックはいつも通り高い演奏技術と圧巻の楽曲ラインナップで私たちを魅せた。
次々と曲を畳み掛け堂々とする彼らに、解散という言葉は似合わなかった。
それは間違いなく私の大好きで誇らしいアカシックだった。
深く考えたくなかったのもあるんだけど、何事もなくライブを楽しみたいという気持ちを大切にしようと思った。
だから、ライブハウスの周りに乱立するラブホテルもアカシックらしい舞台装置なんだと思い込んだし、しれっと渋谷のスタバに入ったりして出来る限りの平常心を保った。
コーヒーをステージドリンクに歌う飾らない理姫さんを思い浮かべながら、極力湿っぽい気分を避けた。
開場してすぐ、ステージを見て圧倒された。
地方のライブばかり行っていた私にとって、こんなにも大きいステージでのアカシックは見たことがない。
嬉しい。けど、悔しい。
アカシックを見てくれる人がたくさんいること、解散だからたくさんの人がいること、交互にその喜びと悔しさが押し寄せる。せっかく保ってきたつもりの平常心が少しぐらついた。
暗くなって、大阪と同じSEが鳴り始めた。
広々としたステージに、白く薄い膜のようなカーテンがかけられる。ストロボ並みの、激しくて目を覆いたくなる照明が点滅する。
(ポリゴン現象と思ったりしてしまう世代)
「地獄に手を振って」。
美しい演奏は、膜の中では始まった。私たちは、シルエットが揺れる様を見つめながら、音だけがすんなりと届く時間を過ごした。
壊してはならない世界を閉じ込めたステージをただひたすら眺める、心地よい時間だった。
理姫さんの声は、熱がこもっていた。
大阪は、理姫さんのみならずメンバー全員そうだったが、熱が込み上げながらも曲の良さを素直に丁寧に伝えるような演奏だった。
それがなんだか、今日の理姫さんは少し上ずるような声をしている。
「千切れたい」
「悔いは残せない」
ライブ直前の理姫さんはそんな風にSNSに記した。
その思いが声に乗って私たちに届く。
ああ、やっぱり特別な時間なのだ。
迎えたくなかったけど、平常心でいたつもりだったけど、特別で残り僅かな時間なのだ。
有り難いといえばいいのかどうかわからないけれど、セットリストは概ね大阪と似ていた。
「エリザベスロマン」、「Mr FANCY」と続く。
心の準備ができたおかげで、涙の出演時間は少し節約することができた。少しだけね。
むしろ、新幹線で期待していたとおりに楽しくて仕方なくて、普段のライブ以上に振り絞って拳を掲げた。
なんだかバンド陣も今日はとても楽しそうで、特にバンビさんの熱がとても伝わってきた。康二郎のドラムがバンビさんを誘うようだ。
赤くて小さなサンダルの理姫さんは、踏み外して倒れてしまいそうなほど、華奢なのに弾けている。体中から溢れる勢いのままに歌っていた。達也さんの気合は初っ端から熱くて心配になるくらいだった。
心地よい「オレンジに塩コショウ」の演奏から一転、「ブラック」。
この曲はいかにもアカシックだなと聴く度に思う。
メロディーがすとんと耳に入りこむ。
達也さんは、感情の抑揚に沿うメロディー作りが上手い。インストアライブに通っていた頃より遥かに余裕綽々で弾きこなす「ブラック」は、情念の歌でありながら軽快だった。
「憂い切る身」、理姫さんの千切れたい思いは頂点に達したように感じた。
大阪よりも更に震えるような強さが、歌声に憑依していた。
この曲は何回聴いたって、擦り切れない美しさと強さと清らかさがある。
「私」で頂まで達した熱をするすると下げ、地面に這うような声色になる。達也さんのアルペジオにまで怨念が乗り移っている。
「you&i」は、お立ち台を公園のベンチのように優雅に使いながら、哀愁と優しさをそっと見せる。
理姫さんの声の変化に合わせて、バンド陣の強弱も整っていく。
感極まるような演奏なのに、誰かが出しゃばったり、バランスを崩したりすることが一切ない。
こんなに勝負できるバラードを持っているのに、相変わらずここにちょっとしたMCが入るのが彼ららしい。いるいるいる。
「幸せじゃないから死ねない」、「さめざめ」。
やはりこの曲たちは、心が乗り移るからこそ美しい。しがみついてくる魂の重さが大阪よりもずしんと感じられる。
康二郎が時折楽しそうにしている。
本当なら、こんな曲なのだから顔をしかめてほしいものだが、残りの時間康二郎には存分に「アカシック」として楽しんでほしかったから、その溢れる笑顔すら場面不相応でも嬉しかった。
聴いたときも鳥肌が止まらないと思った2曲が、大きな会場を容易く呑み込んでしまう。怪物のようなスケールを奏でる4人は、言葉より演奏で成長を見せつける。
理姫さんは、歌い終わるとニコニコしたり揺れたりと少女のようだ。
曲のスケールに負けない人、曲に乗っ取られるのではなく曲を乗っ取る人になった気がする。
「香港ママ」で、やっぱり理姫さんは照れている。
マイクスタンドにマイクをはめたはずが、踊るよりも歌いたくなったのか結局マイクを外してしまうし、はっちゃけているんだけどそわそわしている。そんな一連の姿まで愛すべき人なのだ、彼女は。
「ベイビーミソカツ」。「ツイニー」とは二つ星のような間柄。密やかな空間だった大阪の小さな箱で「ツイニー」、突き抜けるような解放感のある箱で「ミソカツ」。こういう采配のセンス、抜群。
「CGギャル」のバンビさんは<キマッて>た。
「行けバンビ」はもちろん、お立ち台はがっつり使うし、ぐるりと回るような体勢も見せるし(他の方のレポで、あれは「回し蹴り」だと読んだことがある)、相当に黒川バンビ絢太のターンだった。
けれど、いつもそのターンは、康二郎の近くに帰ってきて目配せすることでお仕舞い。ステージの故郷みたいな場所、康二郎。
4人以外の話ってどこまで書いていいのやらわからないんだけど。
男たちが「暴れん坊将軍」を区切りながら言うときにサポートキーボードの翔汰さんも参加してくれて。
実はこれをずっと思っていたんだけど、今4人に加えて翔汰さんがサポートしてくれているアカシックの温度って心地良いの。
なんかね、5人時代とはまた違うけど、一生懸命にアカシックの音を作ろうとしてくれる翔汰さんがいるアカシックが好きなの私。
真顔で真面目に支えちゃってる感じがさ。なんか愛おしい。
そんな見てる私の勝手な心地良さとリンクしたようで、めちゃくちゃ嬉しかったの。
康二郎の残された時間だからさ。4人でも翔汰さん加えた5人でも、どちらにせよ楽しいのが一番良いからそうであってほしいと願っちゃった。
そんな心地よさを背負いながらの「プリチー」の熱量はとんでもないものだった。
箱が大きくなればなるほど、バンドも化ける。曲も化ける。
このときに私は、初めて見たときに驚いたこのライブハウスをぐっと小さく感じた。
いつまでたってもキャパを超えてくるアカシックを、もっともっと誰かに知ってほしくて、弾けるようなポップの音の波の中で泣いてしまいそうだった。
そのまま掲げた拳を下ろすことなく、「華金」。
ぶん回すタオルから吹き飛んでいく繊維が紙吹雪のように宙を舞う。
この曲の吹っ切れそうで吹っ切れない悲しみが、まさに今の気分のようだ。
可憐な声の理姫さんから発される力強い煽りがライブハウスに木霊する。
大阪同様、康二郎の全力がほとばしる雄叫びを浴びながら「秘密のデート」が始まる。
人の数に比例してメンバーの振り絞る力も増していく。冗談抜きで、楽しい以外の感情が見当たらない。
会場中に嵐を巻き起こした後、メンバーが凛とした眼差しになる。「マイラグジュアリーナイト」。
あたしの生き様をさ 行け
これほどたくさんの人が、理姫さんの決意を、アカシックの覚悟を見つめる。
それは、ひとりひとりの思いのようで、4人の思いのようで。
つい、泣く危険を顧みずに康二郎のことを見つめてしまう。
ずっと気持ちよさそうに彼はドラムを叩いている。表情に陰りがない。
「アルカイックセンチメント」、4人の思いがぎゅっと一つになったようで、本当に「花束」。清々しい4人を見ていて、こちらまで誇らしい。
3人のときにここまでの曲を作り上げたんだから大丈夫、という期待。
康二郎の未来も見つめていたかったな、というやりきれなさ。
この曲を聴く度に気持ちがかき乱される。そろそろ、「予習してきたから」という保険もなくなってきた。
いつ、どこで聴いても、心臓にダイレクトに届く曲。「8ミリフィルム」。
このライブハウスにいる人のうち、何人がこの曲を入り口にしてアカシックを知ったのだろう。
どれほどの女の子が、うまくいかなかった自分の恋や、真っ直ぐステレオタイプに生きられない性格をこの曲に重ねただろう。
そんなことを脳裏に浮かべながら、理姫さんのフェイクを聴いていた。会場はまさしく一体だった。
一つになった空間にじっくり浸透するように「愛×Happy×クレイジー」が響く。
絶望だって許さないよ
にこにこと4人が奏でる姿とこのフレーズが重なる。
まだちょっと、絶望を受け入れられる自信がないけど、あんまりにも皆が楽しそうだから、いつか笑えるかなぁと信じたくなる。
さよならを言う方はいつだって晴れやかで美しい。
会場を丸ごと抱きしめるように、愛おしい最後をアカシックは迎えた。
「またすぐ会おうね」
そういってアカシックはステージから去った。
カーテンコールの最中、大阪では衝撃でほとんど聴くことができなかった「愛しき実話」を今日はちゃんと聴こうと決意した。
理姫さんの実直な言葉も、達也さんが誇らしげに作るメロディーも、そしてその世界を美しく彩ろうとするバンビさんと康二郎の演奏も、4人の形を全部味わおうと思った。
たった数分の間に、映画が終わってしまったような、密度の濃い世界が充満する。
康二郎の考えていることは、私には絶対わかりっこない。
だけど、満開の花みたいな笑顔なの。健やかな笑顔なの。この終わりを受けとめてあげなきゃ、康二郎が報われないんじゃないのかなってくらい、幸せそうなの。
折角、一つも取りこぼさず聴こうと思っていたのに、なんだか動揺してしまう。
曲の合間、康二郎は珍しく煽りでもおふざけでもない話をし始める。
東京の景色を眺めて、ぽつりとこう述べた。
「きっと一生忘れないんだろうな」
許さない。
私たちが今まさに思っていたことを、あなたから言うなんてさ。
理姫さんが「最後」って言葉を言わないようにしていたのにさ。
罪の意識のない人間がしでかした罪は重い。
一生許さない。一生忘れてやんない。
涙っぽくなりそうな空気を洗い流すように、理姫さんがとんでもない話をし始める。
「なんかさ、チョコとかクッキー投げられるようなライブってしたことないね。したかったね。」
批判されるようなライブと言いたかったのかもしれないけど、例えがあまりに可愛すぎた。平和かよ。
教えてあげたいなぁ。今日だけじゃなくて、いつもいつも、感謝の言葉しか投げるものないよ?アカシックのライブ。
楽しんでたのに、耐えてたのに。新幹線からずっともやもやしていた涙が限界突破。「終電」。
大好きだよ。自分がいなかったときの曲にも、たくさんあなたらしさを吹き込んでくれた康二郎が。
私たち女の痛みをわかってくれる理姫さんも、誰よりも自慢げにアカシックの曲を愛している達也さんも、皆をじっと見守って共に歩んでくれるバンビさんも。大好きだよ。
「サイノロジック」はメンバーがとっても自由で、もしかしたらこれが一番アカシックらしいのかもしれない。
こんなに涙がこぼれているのに、解散ってなんだっけ、そう思わせてくれる。
理姫さんが、ステージに寝そべる。
「終わりたくない」
知ってる。
私たちも終わりたくない。
ああもう愛おしいほどに優しいサービス精神の女神。
「あの曲だよね?」という暗黙の了解タイムのときに翔汰さんが本当に心配になっちゃって皆で秘密(になってない)会議始めちゃったり、何なんだこのバンド。
泣かせてくれ。笑わせるな。泣いてるし笑ってるけど。
会議のうえで始まった「好き嫌い」で、私たちはメンバーもろとも頭のネジを何本もなくして狂ってやった。
真っ黒になった目の下を隠すことも辞めて、満足な気持ちでライブハウスを出た。
今日だけ、今日だけは横浜のことは忘れてやろう。だって楽しかったんだもの。
lovelydayswithakasick.hateblo.jp
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